栃木県におけるホッケー競技は、昭和47年、栃木国体のホッケー競技が旧今市市に決定したことに始まる。
大沢地区の今市青少年スポーツセンターが会場となるため、地元の大沢青年団がチームを結成し、成年男子のチームとしてスタートした。
その後、専門の指導者や大学卒業の選手等を招聘するなどして、チームとしての体制を整え始めた。
昭和52年、新たに「今市クラブ」として関東オープン大会に参戦したが、更なる強化のため、翌53年実業団チームの「今市市役所」として再スタートを切り、54年には全日本実業団選手権大会で第3位に入賞、宮崎国体にも初出場し第3位となった。
翌年、地元開催の「栃の葉国体」では第4位であったが、ホッケー競技天皇杯獲得の一助となった。
56年には、強化と普及を目的に今市市役所から分離した「今市クラブ」が 発足、加えて今市工高OBを中心に「第三クラブ」も後に誕生した。
しばらくは強化の中心を、今市市役所が担っており、全日本実業団選手権4強入りを12年間続けるとともに、昭和59年奈良国体の第3位入賞の原動力にもなった。
平成に入ってからは、今市市役所と新たに結成された「栃木クラブ」が覇を競っていたが、強化を目的にチームの再編が行われ、双方のチームの主力を集め平成7年、新生「栃木クラブ」が発足した。
この栃木クラブは関東社会人リーグ、全日本社会人選手権等に出場し、平成20年には初の全日本選手権大会にも出場した。
しかし、抜本的な強化を図るため、このチームを母体とし「リーベ栃木」を結成、平成27年日本リーグに参戦することとなった。
平成29年には愛媛国体で念願の初優勝を飾り、日本リーグ1部昇格を決めるなど、強化は着実に実を結び始めている。
2020年東京オリンピック日本代表選手の輩出、2022年2巡目となる栃木国体優勝をチームの目標に掲げ、現在活動中である。